上記記事でも触れているが、実は8月から
と診断され、休職中である。
- うつ病について
- 職場復帰
- 周囲との軋轢
- 変わらぬ重圧
- 4月からけんけんは子ども園に転園
- 6月子ども達が揃って高熱を発症
- 7月けんけんが喘息・肺炎を発症
- 限界
- 精神科を再診
- 当面約3か月は療養
- 独りになりたかった
- 躁状態になる
- 躁状態になった結果引き起こした?出来事
- 復帰に向けて
- 気持ちの持ちよう・今の気持ち
職場復帰
妻と死別し、2017年12月いっぱい休暇をもらっていたが、次男けんけんが年明けから保育園通園が決まり、私は心の整理もつかぬままに2018年1月9日仕事に復帰した。
下記記事を参照されたいが、
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復帰時期について当時の上司は「いつから出てくるか?」と当然のように尋ねてきた。
申し訳ないが、兼ねてから闘病生活を送っていた等覚悟のことでは無く、突然のことだったので、そんな平然と当然のように日常生活・仕事に戻れるような精神状態ではなかった。
しかし、自らの病気でない以上次男を保育園に通わせながらの職場復帰となった。
「早出も出来ない・遅出も出来ない・夜勤も出来ない・残業もほぼ出来ない」
という状態であるが、難しいがやりがいのある仕事を任され、復帰当初は仕事を全うしようという気力が出たように思った。
周囲との軋轢
しかしながら、父子家庭となり、また、精神的に心の整理がつかぬまま仕事をしているところ、周りから「調子悪いなら出てこなければいいじゃない」などと陰口を言われたり
上司からは「(自分が動けない分)周りがカバーしている」「周りに気を遣え」などと言われ、いささか、愕然とせざるを得なかった。
だが、春に部署を異動し、より自宅に近い通勤環境が整った。
この部署では、業務の内容はさほど変わらないが、都心の部署だった前任地に比べのんびりとしており、あまり周囲に負担を掛けているということは感じられず、アットホームな感じの職場環境だと感じた。
前任地に比して30分は少なくなった通勤時間もプラスだし、雲泥の差の環境だと思った。
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変わらぬ重圧
前任地と変わらず難しい案件を取り扱うようになり、早速やむを得ず残業をした。まあそれでも結果的に、残業は午後8時30分くらいまでだったが。
だが、そうすると次男けんけんのお迎えはどうするか?
取りたくない手だったが、当時けんけんを通わせていた保育園はママの御両親の自宅が近い。私の代わりに迎えに行ってもらった。
ママの御両親(じいじばあば)は快く引き受けてくれて、けんけんにお夕飯を食べさせてくれた。
パパとは駅で待ち合わせをしてけんけんを引き取り、いつも通りけんけんと一緒に帰宅した。時刻は午後9時を回っていたが。
そんなこともあり、責任重大なポストにいるのは以前と変わらないように感じたのは当時3月末のことだった。
4月からけんけんは子ども園に転園
そしてけんけんは自宅近くの子ども園に転園となった。
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その後も際どい時間になることもあったがなんとかやってきていたが………
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6月子ども達が揃って高熱を発症
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7月けんけんが喘息・肺炎を発症
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限界
もう駄目だった。限界だ。6月7月と半月近く子ども達の通院付き添い・看病で仕事を早退・休まざるを得ず、自分が抱えていた案件も進めることが出来ないと感じるようになった。
そうなると落ち込んだメンタルが更に仕事への気力を奪っていった。仕事が手につかなくなった。
能率が上がらず、ぼうっとするようになり、電話応対受付応対もままならない。
常に動悸が激しい感じ…血圧が高いような感じがした。
【血圧は8月から測りだしたところ 上が大体140~170 下が大体100~119の間だった】
(ていうか高かった。8月~11月の3か月間ほぼずっと血圧高い) (;・∀・)
血圧については毎日の晩酌(飲酒)の量が夏場増えていたことから上がったものと考えたが……
禁酒したら一時下がったものの、またすぐ上がり飲酒が原因とも考えづらかった。
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精神科を再診
メンタルの不調を現在の上司に相談の上精神科を受診することになった。
実のところ、私は6年前に一度精神的不調に陥いり、長期休職を余儀なくされ当時通院した医院に再度足を運ぶこととなった。
また、同じ先生にお世話になることになり、事情を話し「仕事が手につかない・先行きに希望が持てない・希死念慮がある」など話した。
当面約3か月は療養
結果、仕事での過度なストレスを避け当面療養に専念することとなった。
療養と言ってももう少し子ども達をしっかり面倒を見ることを念頭におかなくてはならない。
まあ8月が終われば長男にいに、長女ねえねは小学校新学期、次男けんけんはもとより子ども園に預けているので、少し時間は出来るだろうか。
独りになりたかった
職場の上司から私の両親には「あまり独りにはしない方がいい」などと言われた。
当ブログで再三述べている通り、子ども達を置いて逝ったりはしないさ。
だが、ママのいない世界はつまらない。ママのいない世界に興味が薄いのも事実だった。
結果どうなったか‥‥ママと一緒になり、当然自然と卒業したはずのオタク趣味に走っていった。
独りで、ある種刹那的に、オタク趣味に走ったり、メイド喫茶をハシゴしたりした。(別稿で触れたい)
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躁状態になる
話は前後するが、前回の精神的不調のときもそうだが、一通り落ち込んだ後8月末頃から躁状態が続いた。
再診で先生から言われたがただのうつ状態ではなく『そううつ』の気がある。いわゆる【双極性障害】なのだそうだ。
ちなみに現在飲んでいる薬は
- パルプロ酸ナトリウム
※薬効 てんかんの薬 感情の高まりを抑える等々…てんかんではないけどね。下記サイトから引用
バルプロ酸ナトリウムSR錠100mg「アメル」/ バルプロ酸ナトリウムSR錠200mg「アメル」
※薬効 感情の高まりを抑え気持ちを楽にして意欲を高める等々。
http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1179045B1021_1_32/
という2種類の薬を処方されている。
躁状態になった結果引き起こした?出来事
いつもなら我慢したり、スルー出来た不満が我慢出来なくなっていた……※もう収まってきた。
他に【市教育委員会・小学校】と揉めたりしていたが、話し合いの結果口頭で謝罪されそれを受入れた。(※大した話ではないのでそっとしておいてもらえたら)
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復帰に向けて
今(11月11日)は、少し前を向き、治療しながら早期に復職する道を模索している。
私が少しでも前向きになれた転機が下記記事
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で述べた『妻のmarriage ringをネックレスで身につける』ことである。
これをし始めた10月末あたりから気持ちが少しづつ変わってきた気がする。
気持ちの持ちよう・今の気持ち
気持ちの持ちようなんて言ったら身も蓋もないが、ママの結婚指輪をネックレスで身につけたら
『いつも一緒にいる』
感覚があって心強くなった。
むしろ逆に重傷な気もする………このネックレスいつの日か外せる日が来るといいのだが……
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