『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

星に願うことはただ一つ もう一度「ママに会いたい」

今週のお題「星に願いを」

7月に入り最近、めっきり暑くなってきた。
関東甲信地方では観測史上最速の6月中の梅雨明けとなり、7月に入ってからも真夏日が続いている。夏本番の到来が思いの外早くなった。

なお、「西日本豪雨」により広島県を始めとする各地に甚大な被害が発生している。被災された方々の心中を察し悲痛に思い、亡くなられた方々の御冥福をお祈りしたい。

こうした中であえて‥‥星に願うこと‥‥私は、パパは‥‥ママに会いたい‥‥です。


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こんなときにだが
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上記記事を参照して頂けると助かるが、私にとって、この突然の最愛の妻の死は筆舌しがたい衝撃だった。

今でも受け入れられない。耐え難い苦痛である。私にとって妻の死は、事件や事故などに遭ったようなものだった。

突然死。

繰り返しになるが、その日のことは下記の記事を参照されたい。
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その日妻は、夕方ねえね(長女)を迎えに徒歩(15分程度の距離)で小学校へ向かった。そして倒れ緊急治療の甲斐なくそのまま亡くなった。

にわかには信じ難いことだった。通り魔に遭ったか、交通事故に遭ったかとも思ったが、どうにもそんな状況には無かった。

その日妻が息を引き取ってから、私はかろうじて喘息の既往症があったことを医師に説明したところ、医師は、妻の身体の所見から「喘息の発作死」と見て間違いは無さそうだと言った。

それには私も異論は無かったが‥‥心中では「そんな喘息でこんな呆気なく亡くなるなんて‥‥」喘息という疾病に対してそれ程知識は無かったが、到底許容出来なかった。今でも認め難い。


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「妻の死」私にとっては「連れが急に居なくなった‥‥どこ行った?」という感覚だ。

馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれない、通夜告別式・荼毘までしておいて何を言うのだと言われそうだが。妻がもう戻って来ないなんて信じ難い。

私が妻の死を完全に受け入れ、認めたときどうなるか‥‥‥‥前を向いて子供達と共に生きて行けるか?

いや、私は妻のところに行きたい。今でもそうだ。妻のところへ行きたい。会いたい。本気で。気が狂いそうだ。

妻の死から半年以上過ぎ、かえって希死念慮が強くなってしまう。

星に願うことはただ一つ
織姫と彦星のように一年に一度だけでもいい。

もう一度「ママに会いたい」ただそれだけだ。


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最近思うことは
ママのDNA情報からママを蘇らせたり出来ないか。科学が進歩した未来なら可能か?

いや、私は何を考えているんだ。荼毘に付してもう遺骨しか無いのに。仮に出来たとして出来上がってくるものはママのクローンだ。DNAが同一なだけ。

私の願いが叶うことはもうない。私は狂ってしまったのか?



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