『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

12月1日 運命の日 妻と『 死別 』

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の続きであるとともに

下記の2記事を合体させ加筆修正した。
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12/1朝

12月1日はパパが仕事なので、ママににいにの退院付き添いをお願いした。

ママは「(自分の両親)ジジババにも来てもらうし金曜日ならママに任せて!」と言っていたのでお願いしてしまった‥‥‥‥

悔やんでも悔やみきれない結果として自分や家族の身に降りかかってくるとはつゆ知らず。

この日の朝、私は早朝からの仕事の為自宅を早朝5時過ぎに出た。
普段朝早い日は遠慮がちに、普通の日はなるべく、ママにおにぎりを作って貰っていた。

この日は朝早かったので、自分だけこっそりと、けんけんを起こさないように、ママとけんけんが寝ているところ先に起きて寝室を出て、身支度を整えていた。


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支度途中で、ママが起きてきた。
あるいは最近の体調不良(ぜんそく)から眠りが浅くて起きてきたか、いつもおにぎりを作ったりコーヒーを入れてくれていたからこの日も起きてきてくれたか、今となってはもう分からない。

いずれにせよパパのために、おにぎりを2つ握って持たせてくれて、コーヒーも入れてくれた。パパはありがたくコーヒーをいただき、おにぎりを携えて仕事に出勤した。

出掛ける際はママが玄関で見送りしてくれた。パパは「今日にいにの退院付き添いよろしくね」とママに声を掛けるとともに、出かけぎわにママの手を握って「行ってきます」と言って出た。このときはまさかこれが最後になるだなんて夢にも思わなかった。

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ママの笑顔が大好きだった。このときも笑顔で見送ってくれた。

ママの手の温もりは、夜ママを連れて帰る際段々と体温が下がり冷たくなっていったときと比べて、とても温かかったと今でも覚えている。


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にいにの退院

ここから先、にいにの退院のことについては、ママのお母さん(義母)から聞いた伝聞だ。

パパから「午前中退院」と聞いていたママは、午前中に、ねえねの小学校の持久走大会の応援に行った後午前中のうちに病院へけんけんを伴って行った。

お母さんにも病院に来てもらう。にいにに付き添うためには、連れてきたけんけんを見ている人が必要だからだ。

小児科病棟には小学生以下の子供は立ち入れないのだ。


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ここで問題が起きた。病棟の看護師からは事前に、にいには午前中退院(昼食は無し)と言われていた。

こちらサイドとしては午前中退院と言われても、何時までに来て下さいとは言われていない。

面会は11時からなのでその時間に来院する。そしてすぐ退院なのだとおもっていたが‥‥‥‥

何時までに来て下さいという話はされていなかったし、退院の許可については担当医の最終確認が必要だというのは分かるし、そう短時間で担当医の手が空くわけではない(外来も当然やってるから)のも冷静に考えれば分かるが‥‥‥‥そのときはこちら側素人に思い当たるわけがない

ママもにいにもけんけんもおばあちゃんも長時間待たされた。端的に言うとにいにの昼食後に退院となった。この辺りは伝聞なので定かではないが、「14:07」ママから「にいに退院して家にいるよ」とメールが来ているのでそうなのだろう。

ママやけんけん、おばあちゃんが昼食をどうしたかは聞いてはいないが、待たされた分疲れただろうと思う。ただ、これがパパとママの最期の通信となった。


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ママねえねの補習授業後のお迎え

12月1日金曜日はねえねの補習の予定があった。この補習、高学年であるにいにの補習(毎週木曜日)の際は自分で帰っているが、低学年は保護者お迎えでないと帰せないことになっている。

数日前ママは、体調が良くなかったので、補習をお休みしてねえね普通に下校させたいと言った。

パパは、にいにの大怪我の原因ともなったお隣さんが「送迎等何かできることあったら手伝う」とだいぶ気を遣ってくれてる。

お迎えなどお願いするか同乗させてもらったらいいか。などと考え、大して検討もせずに

「お隣さんに送迎を頼めばいいんじゃない?」

と言ってしまった。要はお休みしたいというママの希望を認めなかったのだ。


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この日の朝、ママは学校に「お隣さんのお迎えでもいいか」とねえねの連絡帳で聞いている。

正確なやりとりは分からないが、最終的には学校から「保護者が迎えに来てもらいたい」と回答があったようだ。

おじいちゃんとおばあちゃんが来ていたのでお迎えをお願いする手もあったが、最終的には

「ママが自分で歩いて迎えに行き、帰りにお隣さんの車に乗せてもらうことになっていた。」

と後になって聞いた。行きはお隣さんの都合がつかなかったとかで出先から直接学校に行って、合流して一緒に下校する予定だったらしい。

そうして、自宅での留守番とけんけんの面倒をじいじばあばにお願いして、ママはねえねをお迎えするため学校へ向かった。

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とも重複する。

小学校は高台にあり、自宅から小学校の正門に向かうには緩やかな坂だが、バス通りにわざわざ出る形でだいぶ遠回りになる。

にいにねえねの登校の際は近道となる通用門をいつも通っているが、この通用門は平地から高さがある場所で、急な階段を登ることになる。

この急な階段を登り校庭に入って校舎へ向かう道のりとなっている。こちらの門が近い生徒は皆この門から校内へ入って登校している。


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ママ倒れる

ママもこの通用門を通った。急な階段を登って‥‥ここから先は推測も入るが、急な階段を登って息切れして悪化していたぜんそくの発作が起きたのだと思う。

校庭に入りお隣さんのお兄ちゃんとすれ違っている。
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上記にもあるが、ママは階段を登ってから、苦しくなり、校庭をだいぶ進んだところで倒れてしまった。先日小学校に確認したが(別で述べたい)校庭を通用門から7割ほど進んだ角の桜の木の付近だった‥‥‥‥

その後のことについて

後のことは上記の各記事の通りだ。これも先日小学校に確認したが、ママが倒れたのを見ていた生徒が先生に伝え先生が状況を確認して119番通報、AED・心臓マッサージを施したが‥‥‥‥‥‥‥‥

今をもってもなお信じ難い。こんな残酷な現実‥‥‥‥なぜこんな薄情な自分がのうのうと生きていて、子供思いの優しいママが旅立ってしまったのだろうか、死ぬべきは自分ではないかと冗談抜きでそう思う‥‥‥‥

だが今死ぬわけには行かない。ママが遺して子供達はパパまで居なくなったら確実に不幸になる。それは避けたい。

だったら、子供達のために何とか生きていくしかない。ママの遺志を継いで。

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