『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

妻への手紙

ママが居なくなってからもうすぐ3ヶ月経ちます。

今の気持ちを手紙にしました。
あの日のことは思い出したくありませんがどうしても脳裏に残ります。さぞ苦しかったでしょう。変わってあげれずすみませんでした。ママ今何処に居ますか?天国とは何処にあるのでしょう。天国ってとっても広いのでしょうね。でも、いつかきっと迷う事なくママのところに逢いに行きたい。そう思ってます。

子供達は何とか元気です。でもきっと大きな傷を抱えていることでしょう。
お兄ちゃんは右手の骨折で入れたワイヤーも抜け、リハビリも終え、朝練・体育に復帰、今は週一回ロボット教室に通っています。もうすぐプール教室にも復帰します。相変わらず反抗期で私を困らせていますが。





お姉ちゃんは、最近食物アレルギーが心配で改めて検査しました。今後学校と相談しながら様子を見て行きます。後、パパに似たのかアレルギーの影響かものもらいもやりました。年明けから眼科に何度も行ってます。お姉ちゃんは最近とても賢く、お家のお手伝いも頑張ってくれパパをよく助けてくれます。食器などの洗い物も出来るんですよ〜。最近は運動部の体験入部をしてがんばりパパが帰る頃にはグッタリしていました。
弟くんは今は保育園に通っています。物凄く口が達者で、お兄ちゃんやお姉ちゃんと口げんかもします。利口で活発なところを見せてくれてますが、相変わらずオムツが取れません。トイレトレーニングが上手くいきません。お兄ちゃんお姉ちゃんのときと比べ物にならない魔の2歳児です。もう3歳なりましたが強烈です。また、甘えっ子で、パパと一緒のときは必ず抱っこじゃないとダメなのでタイヘンです。そろそろ筋肉疲労が溜まってきそうです。4月からはお兄ちゃんお姉ちゃんが通っていた幼稚園に入園することになりました。こども園になったのでパパが引き続きフルタイムで働きながら送り迎えをします。

ママにもう一度会いたいよ‥‥‥‥思えばさよならも出来なかった‥‥‥‥あの日、朝早く出勤するパパに合わせて起きてくれておにぎりを作ってくれたね。出勤するとき手を握って「行ってきます」したね。あのとき体調があまり良くなかったママにお兄ちゃんの骨折入院の退院手続きとかお願いしてしまってごめんね。パパがやれば良かったのに‥‥‥‥本当に‥‥

ママにもう一度会いたいです。ママと、子供達のこと自分達のこと将来のこと色々お話ししたかった。おじいちゃんおばあちゃんになる頃までも仲良く一緒に手を繋いでお散歩出来る仲でいようねって話した通りずっと一緒ににいたかったです。子供達は可愛いけれどママの居ない世界は本当に寂しいです。最近はとくにそう感じます。自分は時間がずっと止まっているのに周りは普段通りの日常が続き、平然と時が進んでいます。ただただツラいです。





ママと色んなところにお出掛けしたかったです。スキー場にまた行きたいねって話してたよね。連れて行ってあげたかった。ずっと行きたいって言ってた大阪のUSJ、来年(今年)行こうって話したばっかりだったね。本当に一緒に行きたかった。今年ママの写真を持って子供達と行こうかどうしようか悩んでます。でも遺影を持って廻るんであれば今までママと一緒に出かけたところにもう一度廻りたいかなと思ってます。
最近始めたキャンプ。ママと一緒にまた行きたかったです。子供達とパパでキャンプ行けるか考えてますが、アウトドアは子供達との絆は深まるかもしれませんが、同時にママが一緒にいない寂しさが強烈にくるイベントなのでどうかな〜。
パパはママのことが大好きなのでママとまた一緒に2人きりのデートがしたかったです。また一緒に夜を共にして朝を迎えたかった‥‥‥‥
いつまでもパパはママのことを愛しています。今思うと、ママとの時間はどれをとってもかけがえのないものでした。もっともっと大切にするべきだったママとの時間もう戻ってはきません。
パパはパパはって自分が自分がばかりではいけませんね。ママはどうですか?優しいママ、パパのことをいつも気遣ってくれてました。至らないパパでごめんね。最高のママでした。苦しませてしまってごめんね。こんなこと言える立場じゃないと思うけど、パパのことを愛してくれていたら嬉しいな。

今は弟くんと2人で寝てます。たまにお兄ちゃんかお姉ちゃんが一緒に寝に来てくれます。でも最初はパパが広いベッドで弟くんと2人だけじゃ寂しいから「たまに一緒に寝に来て」て頼んだのにいつのまにか弟くんの希望で、弟くんと一緒に寝てくれてますね。弟くんは優しいお姉ちゃんよりもなぜか乱暴者のお兄ちゃんの方が好きみたいで、いつもお兄ちゃんと一緒に寝ると言います。弟くんは、今もお兄ちゃん達と遊んでたのにパパのところに来たと思ったら「パパうんちでた」だって(笑)4月から年少さんなんだけどオムツが取れません‥‥お兄ちゃんお姉ちゃんのときどうでしたか?パパどうやったら弟くんのオムツ外せるか正直分かりません。情けないパパですね。

食生活については、ママはいつもパパの身を気遣って塩分控えめのお味噌汁・お料理を作ってくれてました。最近ではパパがつくるとなんでも塩分が多めになってしまいがちなので子供達の分は気をつけるようにしてますがパパの分塩分が増えてしまったかもしれません。相変わらずラーメン食べちゃ〜お腹壊してます。最近お酒の量が増えてしまって、周りからは控えるように言われてます。
おばあちゃんに食事作ってもらっても、自分で作っても物足りないです。ママの手料理が最高でした。それももう叶わない。

ママが居なくなって自分の半身がもがれたかのような苦痛を味わっています。仕事には行ってますが職場の自分の周りの人は気遣ってくれる人も居れば突き放すような人も居て正直しんどいです。





これからなにを目標にしてにして生きていけば良いのか正直分かりません。
子供達のことは何とかしなければと思います。パパまで居なくなるわけにはいかないので‥‥‥‥パパまで居なくなると子供達は確実に不幸になります。それは避けなくてはならない。
パパは、子育ては使命義務であって生き甲斐ではないと思ってます。子供達は自分の血を分ける子孫ではありますが、あくまで別で、彼らは彼らの人生を歩んでいくのです。その一ピースとして我々親がいるのです。

でも、夫婦は、夫婦は、もともと血の繋がりもない。生まれたときはどこの誰とも知らない人と、縁があって結ばれて子宝にも恵まれた。血の繋がりなど比較できない赤い糸で結ばれて、ずっとずっと年老いても共に生きていく。そういう間柄だと思って過ごしていました‥‥‥‥なのにどうして!と思わずにいられません。

葬儀のときの喪主挨拶では「妻が一番無念だったと思うので妻の遺志を継いで子供達を育てていくことが自分の使命だと思っています」などとカッコいいことを言いました。その意志は今でも変わらずにあるとは思いますが周りに宣言して「立派に育ててみせる❗️」などと意気込めるほど今後子供達を育てていける自信があるかというとそこまで自信はありません。
日々どうにか生きて、どうにか子供達を育てている。そんな感じです。

長くなりました。最後に、ママは私の最愛の妻であり世界で一番大好きな彼女でした。これから先のことは「自信を持って任せろ❗️」とまで言えませんが、何とか頑張っていきたいと思いますので、いつまでも見守っていてください。今まで約13年ありがとうございました。ママのことは決して忘れません。大好きだったよ。愛しています。

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