『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

ママが倒れたのは桜の木の下だった

別稿でも触れているが、先日、平日の夕方に仕事を早退して久しぶりに、にいにねえねの小学校を訪れた。

というのも、小学校側から3/20に連絡があったのだ。
先方からの話はこうだ。

(ママが)倒れられた際、目の前で意識不明になった人がいて、救命活動に携わり、救急車で運ばれるのを見送るもそのまま死亡したということにショックを受けた先生。
その後、精神的ショック・ダメージが大きく葬儀告別式と参列も出来なかった。
近頃、そのショックも治まってきたが、(ママのことが)一種のシコリとなって残ってしまった。出来ればお線香を上げさせて貰えないか。

という申し出だった。




私としては、いわば妻の最期を現場で見た方とも言えるし、歓迎こそすれ拒む理由はない。私の方も、ママが小学校の校庭で倒れたときの様子を改めて詳しく聞きたかったのと倒れた場所を知りたかった。

よって都合をつけて3/27夕方学校に伺い、お話の後現場を見せてもらい、その後先生にお線香上げに来てもらうことにしたのだ。

事前にけんけんをお迎えし、けんけんとともに小学校を訪れた。すると校長室に案内され、校長先生や教頭先生と一緒に、当時救命活動に携わった先生方とお会いした。
ママが倒れたときの様子については改めて具体的に伺った。





15:58
生徒から「校庭で人が倒れた」と先生に通報があり、先生が確認に向かう。
倒れているママについて呼吸、脈を確認する。そのときはまだ呼吸、脈はあったがだいぶ弱々しいものだった。苦しそうに横向きに倒れていて、既に全くの意識不明状態、開いた口からはいくぶん舌が出ていたという。
16:02
先生から救急へ119番通報
救急隊と通話を続けながら、心臓マッサージ、AEDを持ってきて救急隊の指示を受けながら、AEDを取り付けるも適応外との反応、心臓マッサージを続けながら救急隊到着を待つ。
その後救急隊が到着し、引き継ぐ。

16:13
私に、にいにの担任の先生から連絡が入り妻が倒れたこと・搬送先について知らされる。妻の容態は救急隊から既に心肺停止状態であることが伝えられる。
以上

前々から聞いていた内容をより一層具体的に教えていただいた。妻の最期のときの様子なのでよく聞き覚える。さて、場所について、案内をしてもらう。

通用門から校庭を斜めに歩き、ねえねの補習をやっている校舎に向かう途中の、校庭角の桜の木の下だった。先生から場所を教えてもらい、しゃがみこんで手を合わせる。




無念だったろう‥‥苦しかったろう‥‥痛かったろうと思うと、久しぶりに涙が溢れてきた。
ここは通用門のところの急な階段から、しばらくは歩いた位置になる。ここまで苦しかったなか必死に歩いてきたのかと思うと‥‥‥‥
自分じゃなく、なぜママがこんな目にあうのか。いや、自分がママをこんな目にあわせてしまったのだ‥‥‥‥‥‥また悔恨の涙が尽きなくなる。

ひとしきり感情が溢れたところ数分手を合わさせて頂いた。

皮肉にも

桜の木は満開だった‥‥‥‥

その後家に戻り、先生を迎えお線香を上げてもらった。

まだまだまだまだツラい日が続く。


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