『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

告別式

12月7日午前11時告別式開式。
会館に泊まったので、朝は余裕があった。家族でコンビニのおにぎりで腹ごしらえをした後、式の支度をする。

お一方どうしても時間の都合がつかないとのことで9時半くらいに来られる。妻の恩師だ。多忙の中来訪を感謝し、丁重にご挨拶し、お焼香してお別れしてもらう。さあ、これからの数時間正念場だ。

開式1時間前から続々と親族・係員方々が来られる。遠方から来た従姉妹、叔母夫婦と久しぶりに再会したが、会った瞬間に、遠方から来てくれたことに感謝する気持ちや、親以外で気を許せる親族に会ったことで感極まり泣き出した。結婚式や子供誕生等折に触れお祝いをしてもらっていたところ、このような形で来てもらうなどと思いも寄らず、無念さを感じざるを得なかった。





告別式が始まったが、平日ということもあり、通夜のときほどの参列者数では無かった。お坊さんがお経を読み淡々と進んだが、参列者に目を向けると、やはり旧知の同僚・先輩・後輩が来てくれたのを見て胸が熱くなる思いをした。
後半に、合わせて「繰り上げ初七日法要」を行う。今日はすでに初七日であり、告別式に初七日法要を合わせて行うのが一般的であるという。初七日の焼香が終わり、弔電の代読紹介がある。ここでも、残念ながら来られずとも弔電を送ってくれた友人・同僚が紹介された。これは事前に紹介順を決めるため、私は確認済みだ。妻方の関係者・友人からの弔電もあり、紹介順を決めるのは難儀した。

そして「告別式(お花入れ)」である。誰の葬式であれ「お花入れ」はキツいものがあると前々から思っていた。故人との関係が薄くても、もらい泣きをしてしまったりして非常に辛い場面だ。それが自分の妻の葬儀だなんて筆舌しがたい苦痛である。お花が好きだった妻のために妻の顔だけは見えるようにしつつ棺いっぱいにお花を敷き詰める。子供達も泣きながらお花を飾っている。次男も神妙な顔つきでお花を飾っている。こうすると妻は大好きなお花に囲まれて笑顔を浮かべているように見える。本当に穏やかな顔つきをしている。死んでいるなんて思えない。思いたくない。と、また強く思う。





「お花入れ」が終わると棺に蓋がされ、いよいよ「出棺挨拶」である。永遠にこのときが来ないで欲しいと思っていたが、仕方ない。事前に作成した原稿を取り出す。建前もあるがいまの偽らざる気持ちを込めた。冒頭と末尾の挨拶を除いて書く。

「妻は享年37歳。10歳(当時)の長男、9歳の長女、2歳(当時)の次男の3人の子供達に囲まれ子育てに奮闘しておりましたところ、突然病いに襲われ還らぬ人となってしまいました。私自身のことを申し上げれば、正直なところ、突然最愛の妻を喪い茫然自失し、喪った存在の大きさに愕然としており、これから生きていく希望を失ったように感じ絶望しております。しかし、今まで妻は、我々家族のことを何より愛し慈しみ続けてくれました。そんなときに子供達をこれから育て続け、その成長をそばで見守ることが出来なくなり、さぞかし無念だったろうと思います。私が妻の遺志を継ぎ、子供達を大切に育てていくことが妻への何よりの供養と信じて過ごしていくつもりでございます。後に残りました我々家族、非常に拙いものでございますけれども、どうか亡き妻同様皆様のご指導ご厚誼を心からお願い申し上げます。」

本心ではここまで前向きな姿勢ではないのか正直なところだが、情けないところを妻に見られたくなかった。妻の前では格好つけたがる男なのだ。私の挨拶中子供達も泣きながらも立派に並んでいた。

そして、出棺だ。妻の乗る車は助手席に私しか乗れない。始終私にベッタリだった次男は奇跡的にもかろうじて義兄嫁さんの抱っこで何とかバスの方へ乗ってくれた。葬儀会場を妻の乗るいわゆる霊柩車・親族が乗るマイクロバスと二台で出発し告別式は終了だ。職場の上司同僚等本日の会葬者が見送る中出発し火葬場へ向かう。

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