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- 12月6日通夜の日の朝・出発のとき
- 自宅でのいままでの生活の回想
- 妻は私達家族を良く愛してくれた
- 我が家を出発しもう戻ってこない妻への挨拶
- 通夜会場へ向かい開式準備・・・心の中
- 通夜開式・・・𠮟咤激励??
- 通夜は気づいたら終わりの時間だった
- 追記
12月6日通夜の日の朝・出発のとき
葬儀屋が午前中に来て、妻が先発する。妻出発前に、私が次男を抱っこ・長男・長女と妻の前に並ぶ。明日の告別式後の帰宅はまだ想像したくない。ついにこの時が来てしまった‥‥‥‥みんなで妻に、今までの感謝の気持ちを伝える。
自宅は約10年住んでいる住み慣れた我が家だ。今日妻はこの住み慣れた我が家から旅立つ。
自宅でのいままでの生活の回想
振り返ると、まだ生まれたばかりの長男と夫婦で、新築一戸建てを購入して引っ越したのを昨日のように思い出す。それから、長女が生まれ、それぞれすくすくと成長し、遅れて次男が生まれた。
必ずしも順風満帆とは言えず色々な苦難があったが夫婦2人の協力で乗り越えてきた。子宝3人に恵まれ幸せな家族だと思っていた‥‥‥‥
妻はそんなときに突然還らぬ人となってしまった。
私は、妻に最近も恥ずかしげもなく「愛してる」と言っていた。そんな妻を、文字通り人生のかけがえのない伴侶を道半ばで亡くし自分の半身をもがれたような苦痛を味わっている。
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妻は私達家族を良く愛してくれた
妻は私も含め家族のことを良く愛してくれた。特に遅れて授かった次男はわたしも妻も溺愛していた。本当に可愛くてこれからの成長を楽しみにしていた。
妻は突然この世を離れることになって無念だったろうと思う。突然のことで困惑しているだろう。もっと生きたかっただろうと思う。死の間際は大変な苦痛だっただろうと思う。代われるものなら代わりたかった‥‥‥‥‥
今まで妻には家のことや子育てのことなどで色々大変な苦労を掛けた。もっと代わることが出来たんじゃないか?もっと妻のことを気遣うべきだったんじゃないか?‥‥‥‥と後悔ばかりしてしまう。
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我が家を出発しもう戻ってこない妻への挨拶
今はただ、妻に「疲れただろう。ゆっくり休んでね。今まで本当にありがとう」と感謝の言葉を伝えた。子供達も同様に「ママありがとう」と感謝の言葉を伝えている。
次男はあまり良く分かってはいないが、「ママはもう起きない」ことは理解しているようだ。そして「悲しい」という感情があるようだ。
3歳前の子供にこんな過酷な運命を背負わせることになるなんて‥‥あらゆる事物・世界を恨みたくなる。
子供達はそれぞれ突発的に妻にすがりついて泣き叫ぶようなことはなかった。私がそうなりそうなくらいキツい。
正直「もう何もかもどうでもいい・自分も死にたい」という最悪な感情が少なからずあるのだ。子供達のダメージも大きいと思うが、また、健気にも強く、逆に私を支えてくれてる。そんな感じすらある。
妻は自宅を出発をする。遅れて私達も行くが、葬儀場では妻は棺の中の人となる。いよいよ通夜告別式という一大行事が始まる。始まってしまう。
通夜会場へ向かい開式準備・・・心の中
通夜の開式に先立ち、打ち合わせ、手伝いをしてくれる方々への挨拶、遠方から来られる親族への挨拶、職場から来て頂く上司同僚等そして今日お経を読んでくれるお寺さんへ挨拶をしなければならない。お世話になる方々へ失礼の無いように早めに式場へ向かう。
喪主なんて当然初めてのことである。私の両親は持病はあるが一応健在であり、父は60歳を超え第一線は退いたがフルタイムで働いている。
妻の両親も高齢だが元気だった。
妻は小学校のときの友達、中学のときの友達、高校のときの友達、大学のときの友達と女子同士繋がりが続いていて、子育てなどのためなかなか機会が無く数は少ないながらたまに昔の友達と会って遊ぶ女子会をしていた。
息抜きなどの機会がもっと出来るように私が妻のことを気遣っていればと更に悔やむ。とにかく多くの方が妻の死を悼んで来てくれる。失礼の無いようにと思った。
私の方も、夫婦共々お世話になった上司や先輩、同僚、友人もおり、多くの方が来られると予想する。喪主として失礼の無いようにしたいと思った。
だが、正直なところこのとき、あまり正気だったとは言い難い。第一妻の急死を事実として受け入れ難い本心がある一方喪主として恥ずかしくないようにしたい等という建前は矛盾している。
今でもそうだがダメージを受けた内心に蓋をして閉じている。発狂したり自殺などしないための自己防衛措置だ。さらに言うと、本当なら全て投げ出して現実から逃避して閉じこもり通夜告別式など放棄したかった。そして妻の後を追いたかった。
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通夜開式・・・𠮟咤激励??
そういう暗闇の本心をぐっと抑えて、通夜に臨んだ。妻の友人、親戚、私の職場関係、長男長女の小学校の同級生等小学校関係者、長男長女が幼稚園の頃の関係者の方々と非常に多くの方に参列して頂いた。
私の職場関係者は、参列者に頭を下げながらも号泣する私のことを見て
「子供達の前で泣くな」
「男だから泣くな」
と叱咤する人もいた。昔馴染みのひとに叱咤激励されありがたいと思う反面別の感情もある。
簡単に言えば
「子供達の前だからしっかりと言われても無理だ」
「夫が妻の急死を哀しみ泣いてはいけないのか」
ということだ。「しっかりして」とか「気を強く持って」とか言う人は言うが、じゃあ自分は同じ目に遭ったか?子供や人生の伴侶を急に亡くした経験があるのか?と言いたかった。
また、「男だから」だから何?時代錯誤甚だしい。女だったら号泣していいのか?男女差別だ。
同じ目に遭った人からの忠告なら分からないでもない。だが、例えば親を亡くした経験があると言っても、かねてから闘病中だったり、突然であってもそれなりに高齢であれば、私とは、私の妻とは断じて一緒ではない。そう強く思う。
言わば急に事件や事故災害に巻き込まれた場合と、受けた衝撃は遜色無い。そう思っている。こんな突然に妻と永遠の別れだなんて、断じて認め難い、信じ難い思いだ。
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通夜は気づいたら終わりの時間だった
通夜は、非常に多くの方に参列して頂いたが、時間の感覚が無く、気づいたら終わりの時間だった。閉式後、参列した方の多数が残られ妻の顔を見ていきたいと言う。非常に多くの方が列を作り待っていてくれた。
有難いことであり、御礼がてら簡単に妻への思いを話したりしながら順番に見てもらった。お化粧をして綺麗な顔で、棺の中で眠っているかのようだった。
また、閉式後、お坊さんには御礼とお布施を渡し、また明日もよろしくお願いしますと挨拶をした。この通夜という行事で、すでに相当疲労して来たが、明日の告別式まで何とか堪えて喪主として役目を全うしたい。
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追記
当時(改稿日2018年11月19日)のことを昨日のことのように思い出す。既に亡骸であったが、妻が家を旅立つ直前まで、そのときが永遠に来なければいいのにと本気で思っていた。
夢か幻のようで、現実感が無く、フィクションのようで、役を演じているようだった。でも全て現実だった………