ママに会いたい 最愛の妻との死別

突然逝ってしまい死別した妻への思いを吐き出すと共に、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘する日々を綴ります。

12月1日最愛の妻は突然倒れ、私達家族と永遠の別れとなった

※当ブログ初期の「12月1日妻が倒れた(1)〜(4)」を合体再編したものです。若干加筆修正を行っています。

2017年12月1日
その日私は朝早く5:30よりも前くらいに、仕事に行くところだった。妻らを起こさないように「そうっと」準備したつもりだったが妻は朝早く起きてくれ、私のためにおにぎりを握って持たせてくれた。

妻が握ってくれたおにぎりはとても美味しくていつも頼んでしまう。
おにぎりを受け取り「行ってきます」と妻に言うとともに、手を握り合うスキンシップをして仕事のため家を出た。

昼に長男のことでショートメールでやりとりをした。私は妻に「ママありがとう」と伝え、やりとりは終わった。


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夕方になり、間も無く仕事が終わる頃「妻が倒れた」と小学校から電話が入った。小学校に長女を迎えに行ったところで倒れたという。

電話相手確か先生だったと思うが、妻のいわゆる既往症について聞かれた。そういえば妻は最近喘息の症状があり何日か前に通院していた。

週明け月曜日休みの私が子供の世話をしている間に、再度病院に行く予定になっていた。電話相手が救急隊員に変わったところで「既往症は喘息がありますけど」と話した。

私は、最近妻に無理をさせてしまったかなと思いながら「妻はどんな具合ですか」と尋ねたところ、電話相手の救急隊員は多少躊躇するような口調で「心肺停止です。〇〇病院に搬送します。ご主人すぐ来れますか」と言われ、頭が真っ白になった。


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妻が意識不明の重体(心肺停止)である連絡を受けて、職場だったため離れた距離の場所にいることを絶望感とともに告げ、とにかく駆けつけることにした。

職場の上司に伝え、帰らせてもらうことになったが、妻の重体を知り動揺する私に「こんな時こそしっかりしなさい」と言われたが「そんなの無理だ」と思うも、すぐ送り出してくれたことに感謝しつつ職場を出た。

駆けつけるのに時間がかかるため、情けなくも思ったが双方の両親に先に病院に向かってもらうように伝えた。「重症である」としか言えなかった。

向かってる電車内で「喘息 死亡」で検索すると‥‥厚生労働省人口動態統計によると、喘息による死亡者数と人口10万人あたりの死亡率は、平成28年1,454人(1.2%)というデータが出た。

小児と高齢者に多いのだろうと思ったが決して低くはない数、率だと感じた。だが、まさか妻がそんなことでとは思いたくなかった。

息を吹き返してくれるんじゃないか。はたまた誰かのタチの悪い冗談・嘘・ドッキリじゃないか、何かの間違いであって欲しいと祈るような気持ちで向かった。


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妻が倒れた連絡から1時間半あまりして病院の救命救急センターに到着した。すぐ中に通されるかと思ったが、しばらく待たされた。

こういう時、親族等の到着を待ち、蘇生措置の中止・死亡確認を行うものと思っていたので、私待ちだったかと思ったが、待たされるということは、まだ望みがあるのか・息を吹き返したんだろうか。と淡い期待を抱きながら待合室で待った。

待っている間、2〜30分経ち直近の親族はほぼ全員が駆けつけた。そして、看護師に声を掛けられ、中へ通された。

夫である私をいち早く認めた救命救急の担当医師から

「搬送されて2時間ずっと心拍の再開(心臓が動くこと)は無く脳へのダメージを考えるともう‥‥」

と言われ自分が死刑宣告を受けたような絶望感に襲われた。 目の前のベットには沢山の管がつけられて横たわる痛々しい妻の姿。
スタッフが心臓マッサージを続けている。堪え難い冷酷な現実がそこにあった。


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私は「子供達も一緒なのに‥‥嫌だ!こんな形で妻の最期を決めるなんて」と思い、必死に妻に「戻って来て欲しい」と呼び掛けた。

その間も「電気ショックは?」と聞いたが「電気ショックは効果が無い」と言われ、「何とかならないんですか!」と泣き叫ぶように助けを求めたが返事は無かった。

「(もうどうしようもないんだよ、あきらめろ。早くこの無駄な心臓マッサージを終わらせろ)」と言われているようなそんな重たい悲痛な空気が部屋を支配していた。

現実問題、自分の嫌な部分でもあるが脳裏では冷静に「倒れて搬送され、2時間以上ずっと息を吹き返していない人間が蘇生するはずがない。後は自分がどのタイミングで措置を中止してもらうかだけだ」と感じていた。

だが、自分の最愛の妻の死を認めること。しかも親族が勢ぞろいして泣き叫ぶようにして「戻って来て欲しい」と呼び掛けている。

子供達3人もそばにいて泣きながら「ママ戻って来て」と妻にすがりついている。今更子供達を下がらせる訳にもいかない。そんな状況下でそんなこと(蘇生措置の中止を求めること)は出来なかった‥‥


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しばらくの間、目の前の否定したい現実に目を背けていたが、いつまでもこうしているわけにもいかず、決断しなければならないと覚悟を決めた。

義父母に「おとうさんおかあさんもう‥‥」このぐらいしか言えなかった。果たして伝わっただろうかと懸念したが、続けて心臓マッサージを続けているスタッフに「もう‥‥いいです」と告げた。

その後担当医による所定の確認の後「午後6時50分」と告げられ、私の最愛の妻であり子供達が大好きなママの死亡が宣告された‥‥‥‥

私は、事故や事件に遭ったのと変わらない衝撃を受けたように思った。こんな残酷な形で最愛の妻と永遠の別れだなんて‥‥‥‥子供達にとっても厳しすぎる現実だ。次男はまだ2歳だ。こんな過酷な現実が我々家族に降りかかってくるなんて到底受け入れられなかった。


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「平成29年(2017年)12月1日午後6時50分」
私はこの瞬間を一生涯忘れることはないだろう。私の最愛の妻であり子供達の大好きなママを永遠に失った瞬間。

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遺影の写真とそっくのイラスト
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妻とは結婚して12年余り、ずっと大好きだった妻。失うには大きすぎるかけがえのない存在であり、私にとっても子供達にとっても余りにも早すぎる別れ。例えようもなく辛く苦しい悲しみの日々の始まりとなった。

まず、妻はどうして倒れてそのまま逝ってしまったのか。妻は確かに最近寒くなるにつれ喘息が出てきていた。かといってそんな昔から重い喘息を患っていたという印象もなかった。

若い頃に気胸をやったとは聞いていたが、健康で、10代の頃は高めの身長(170cmあり、私よりほんの少し高い)を生かしてバレーボールの経験があるとか言ってた。


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小学校の校庭を校舎に向かって歩いていて倒れたような話だが、倒れたところを見た者はいるのか?事故?事件?分からない点もあった。これは変死ということになってしまうのではと懸念していたが担当医が説明してくれた。

「最近喘息が出ていたということ。検査数値からいって喘息の発作によるものと見て間違いはないでしょう。気胸も発生していますが心臓マッサージによっても気胸は起こりうるし、いずれにしても病死で死亡診断書は書けますよ」と言ってくれたが‥‥

私の知識では、病院で死亡した者で、死因の判断が出来る死体であっても
「診察を始めて24時間以内に死亡した者は、明確な死因の判断をすべきではない」
つまり自宅・路上等で急に倒れて救急搬送されたもののすぐ亡くなった場合病死と思われる場合でも、警察に通報・監察医が判断するいわゆる「変死」になるはずだ。

と思っていたが、この監察医制度は全国津々浦々まであるのではなく、東京等の一部の大都市のみであり、私達家族が住んでいる街はそんな制度はなく、担当医曰く「病死であることはほぼほぼ間違いない」という。

妻の突然死。突然の死別自体には到底納得出来ない。現実のものとして受け止められない。泣き叫んで「何故助けられない!救命救急センターで命救えないでどうするんだ!」などといささか理不尽に怒鳴りたかったが‥‥‥‥

これからのこと(葬儀等)を考えたり妻のことを思うとこれ以上妻の身体を傷つけたくなかった。早く家に連れて帰ってあげたいという思いが強く、警察の介入・検死検案・解剖等必要ないのであれば助かると思った。


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今後のことについてだが、大きな病院であれば霊安室があり、葬儀屋も詰めているという。

幸いなのかどうなのか分からないところであるが、これからのことをあまり考えたくないこともあり、葬儀屋さんがいるなら全てお願いしよう。そう思い、葬儀屋にお願いして妻を自宅へ連れて帰ることにした。

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