ママに会いたい

突然逝ってしまった妻への思いを吐き出すと共に、11歳の長男、9歳の長女、3歳の次男を育てていくため悪戦苦闘する日々を綴ります。

お題スロット「ブログをはじめたきっかけ」『妻との死別』

お題「ブログをはじめたきっかけ」

再編集

このブログを開設したのは、突然の妻の死。それを受け入れられない自分。それでも、日常に戻り、日々の生活、育児、仕事をしていかないといけない中で、もがき苦しみながら鬱々した思いを綴ろうと思ったからである。

妻は享年37歳。2017年12月1日突然倒れそのまま逝ってしまった。あっという間だった。現実だととても思えなかった妻の死。

私と3人の子供達は、皆大好きなママを失い悲しみにくれている。




2017年12月1日、この日はパパが仕事なので、ママに入院中のにいにの退院付き添いをお願いした。直前3日間はパパが休暇を取りにいにの看病にあたったので退院についてはママにお願いした‥‥‥‥お願いしてしまった‥‥‥‥

この日の朝、早朝からの仕事の為自宅を早朝5時過ぎに出た。
普段朝早い日は遠慮がちに、普通の日はなるべく、ママにおにぎりを作って貰っていた。
この日は朝早かったので、自分だけこっそりと、けんけんを起こさないように、ママとけんけんが寝ているところ先に起きて寝室を出て、身支度を整えていた。

支度途中で、ママが起きてきてくれた。
あるいは最近の体調不良(ぜんそく)から眠りが浅くて起きてきたか、いつもおにぎりを作ったりコーヒーを入れてくれていたからこの日も起きてきてくれたか、今となってはもう分からないが、パパのために、おにぎりを2つ握って持たせてくれて、コーヒーも入れてくれた。パパはありがたくコーヒーをいただき、おにぎりを携えて仕事に出勤した。出掛ける際はママが玄関で見送りしてくれた。パパは「今日にいにの退院付き添いよろしくね」とママに声を掛けるとともに、出かける間際にママの手を握って「行ってきます」と言って家を出た。このときはまさかこれが最後になるだなんて夢にも思わなかった。ママの手の温もりは、夜ママを病院から家に連れて帰る際段々と体温が下がり冷たくなっていったときと比べて、とても温かかったと今でも覚えている。

ここから先、にいにの退院のことについては、ママのお母さんから聞いた伝聞だ。

パパから「午前中退院」と聞いていたママは、午前中のうちに病院へ行った。けんけんを伴って。
お母さんにも病院に来てもらう。にいにに付き添うためには連れてきたけんけんを見ている人が必要だからだ。小児科病棟には小学生以下の子供は立ち入れないのだ。

ここで問題が発生した。事前に病棟の看護師からは、にいには午前中退院(昼食は無し)と言われていたが、にいになかなか退院にならず、結局病室で昼食も出た。事前に午前中退院と言われていたが何時までに来て下さいとは言われていなかった。面会は 11時からなのでその時間に来院した。そしてすぐ退院なのだとおもっていたが‥‥‥‥
退院の許可等確認の不徹底から手違いが生じたのか?よくわからないが、最初から確認を徹底して欲しかった‥‥‥‥この後夕方最悪の結果が発生しただけに‥‥‥‥





ママもにいにもけんけんもおばあちゃんも長時間待たされた。端的に言うとにいにの昼食後に退院となった。この辺りは伝聞なので定かではないが、「14:07」ママから「にいに退院して家にいるよ」とメールが来ているのでそうなのだろう。ママやけんけん、おばあちゃんが昼食をどうしたかは聞いてはいないが、待たされた分疲れただろうと思う。ただ、これがパパとママの最期の通信となった。

この日はねえねの小学校で補習の予定があった。この補習、高学年であるにいにの補習(毎週木曜日)の際は自分で帰っているが、低学年は保護者お迎えでないと帰せないことになっている。

数日前ママは、体調が良くなかったので、補習をお休みしてねえね普通に下校させたいと言った。

パパは、にいにの大怪我の原因ともなったお隣さんが「送迎等何かできることあったら手伝う」とだいぶ気を遣ってくれてる。お迎えなどお願いするか同乗させてもらったらいいか。
などと考え、大して検討もせずに「お隣さんに送迎とか頼めばいいんじゃない?」と言ってしまった。要はお休みしたいというママの希望を認めなかったのだ。

この日の朝、ママは学校に「お隣さんのお迎えでもいいか」とねえねの連絡帳で聞いている。正確なやりとりは分からないが、最終的には学校から「保護者が迎えに来てもらいたい」と回答があったようだ。
おじいちゃんとおばあちゃんが来ていたのでお迎えをお願いする手もあったが、最終的には

「ママが自分で歩いて迎えに行き、帰りにお隣さんの車に乗せてもらうことになっていた。」

と後になって聞いた。行きはお隣さんの都合がつかなかったとかで出先から直接学校に行って、合流して一緒に下校する予定だったらしい。

そうして、自宅での留守番とけんけんの面倒をじいじばあばにお願いして、ママはねえねをお迎えするため学校へ向かった。

小学校は高台にあり、自宅から小学校の正門に向かうには緩やかな坂だが、だいぶ遠回りになる。にいにねえねの登校の際は近道となる通用門をいつも通っているが、この通用門は平地から高さがある場所で、急な階段を登って校庭に至り校庭内を通り、校舎へ向かう道のりとなっている。こちらの門が近い生徒は皆この門から校内へ入って登校している。





ママもこの通用門を通った。急な階段を登って‥‥ここから先は推測も入るが、急な階段を登って息切れするところ悪化していたぜんそくの発作が起きたのだと思う。校庭に入りお隣さんのお兄ちゃんとすれ違っている。
ママは階段を登ってから、苦しくなったようで校庭をだいぶ進んだところで倒れてしまった。先日小学校に確認したが、校庭を通用門から7割ほど進んだ角の桜の木の付近だった‥‥‥‥これも先日小学校に確認したが、ママが倒れたのを見ていた生徒が先生に伝え先生が状況を確認して119番通報、AED・心臓マッサージを施したが‥‥‥‥‥‥‥‥

その後のことは以下の記事をご覧頂きたい。重複する内容もあるがご容赦ください。

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今をもってもなお信じ難い。こんな残酷な現実‥‥‥‥なぜこんな薄情な自分がのうのうと生きていて、子供思いの優しいママが旅立ってしまったのだろうか、死ぬべきは自分ではないかと冗談抜きでそう思う‥‥‥‥だが今死ぬわけには行かない。ママが遺して子供達はパパまで居なくなったら確実に不幸になる。それは避けたい。だったら、子供達のために何とか生きていくしかない。ママの遺志を継いで。


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