『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

12月1日運命の日(2)

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続きです。

12月1日金曜日はねえねの補習の予定があった。この補習、高学年であるにいにの補習(毎週木曜日)の際は自分で帰っているが、低学年は保護者お迎えでないと帰せないことになっている。

数日前ママは、体調が良くなかったので、補習をお休みしてねえね普通に下校させたいと言った。

パパは、にいにの大怪我の原因ともなったお隣さんが「送迎等何かできることあったら手伝う」とだいぶ気を遣ってくれてる。お迎えなどお願いするか同乗させてもらったらいいか。
などと考え、大して検討もせずに「お隣さんに送迎とか頼めばいいんじゃない?」と言ってしまった。要はお休みしたいというママの希望を認めなかったのだ。




この日の朝、ママは学校に「お隣さんのお迎えでもいいか」とねえねの連絡帳で聞いている。正確なやりとりは分からないが、最終的には学校から「保護者が迎えに来てもらいたい」と回答があったようだ。
おじいちゃんとおばあちゃんが来ていたのでお迎えをお願いする手もあったが、最終的には

「ママが自分で歩いて迎えに行き、帰りにお隣さんの車に乗せてもらうことになっていた。」

と後になって聞いた。行きはお隣さんの都合がつかなかったとかで出先から直接学校に行って、合流して一緒に下校する予定だったらしい。

そうして、自宅での留守番とけんけんの面倒をじいじばあばにお願いして、ママはねえねをお迎えするため学校へ向かった。

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とも重複する。

小学校は高台にあり、自宅から小学校の正門に向かうには緩やかな坂だが、だいぶ遠回りになる。にいにねえねの登校の際は近道となる通用門をいつも通っているが、この通用門は平地から高さがある場所で、急な階段を登って校庭に至り校庭内を通り、校舎へ向かう道のりとなっている。こちらの門が近い生徒は皆この門から校内へ入って登校している。




ママもこの通用門を通った。急な階段を登って‥‥ここから先は推測も入るが、急な階段を登って息切れするところ悪化していたぜんそくの発作が起きたのだと思う。校庭に入りお隣さんのお兄ちゃんとすれ違っている。
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上記にもあるが、ママは階段を登ってから、苦しくなり、校庭をだいぶ進んだところで倒れてしまった。先日小学校に確認したが(別で述べたい)校庭を通用門から7割ほど進んだ角の桜の木の付近だった‥‥‥‥後のことは上記の各記事の通りだ。これも先日小学校に確認したが、ママが倒れたのを見ていた生徒が先生に伝え先生が状況を確認して119番通報、AED・心臓マッサージを施したが‥‥‥‥‥‥‥‥

今をもってもなお信じ難い。こんな残酷な現実‥‥‥‥なぜこんな薄情な自分がのうのうと生きていて、子供思いの優しいママが旅立ってしまったのだろうか、死ぬべきは自分ではないかと冗談抜きでそう思う‥‥‥‥だが今死ぬわけには行かない。ママが遺して子供達はパパまで居なくなったら確実に不幸になる。それは避けたい。だったら、子供達のために何とか生きていくしかない。ママの遺志を継いで。


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