『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

通夜

通夜の開式に先立ち、打ち合わせ、手伝いをしてくれる方々への挨拶、遠方から来られる親族への挨拶、職場から来て頂く上司同僚等そして今日お経を読んでくれるお寺さんへ挨拶をする。お世話になる方々へ失礼の無いように早めに式場へ向かう。

喪主なんて当然初めてのことである。私の両親は持病はあるが一応健在であり、父は60歳を超え第一線は退いたがフルタイムで働いている。妻の両親も高齢だが元気だった。妻は小学校のときの友達、中学のときの友達、高校のときの友達、大学のときの友達と女子同士繋がりが続いていて、子育てなどのためなかなか機会が無く数は少ないながらたまに昔の友達と会って遊ぶ女子会をしていた。息抜きなどの機会がもっと出来るように私が妻のことを気遣っていればと更に悔やむ。とにかく多くの方が妻の死を悼んで来てくれる。失礼の無いようにと思った。





私の方も、夫婦共々お世話になった上司や先輩、同僚、友人もおり、多くの方が来られると予想する。喪主として失礼の無いようにしたいと思った。だが、正直なところこのとき、あまり正気だったとは言い難い。第一妻の急死を事実として受け入れ難い本心がある一方喪主として恥ずかしくないようにしたい等という建前は矛盾している。今でもそうだがダメージを受けた内心に蓋をして閉じている。発狂や、自殺などしないための自己防衛措置だ。さらに言うと本当なら全て投げ出して現実から逃避して閉じこもり通夜告別式など放棄したかった。そして妻の後を追いたかった。

そういう暗闇の本心をぐっと抑えて、通夜に臨んだ。妻の友人、親戚、私の職場関係、長男長女の小学校の同級生等小学校関係者、長男長女が幼稚園の頃の関係者の方々と非常に多くの方に参列して頂いた。私の職場関係者は、参列者に頭を下げながらも号泣する私のことを見て、「子供達の前で泣くな」と叱咤する人もいた。昔馴染みのひとに叱咤激励されありがたいと思う反面別の感情もある。簡単に言えば、「子供達の前だからしっかりと言われても無理だ」ということだ。

「しっかりして」とか「気を強く持って」とか言う人は言うが、じゃあ自分は同じ目に遭ったか?、子供や人生の伴侶を急に亡くした経験があるのか?と言いたかった。同じ目に遭った人からの忠告なら分からないでもない。だが、例えば親を亡くした経験があると言っても、かねてから闘病中だったり、突然であってもそれなりに高齢であれば、私とは、私の妻とは断じて一緒ではない。そう強く思う。言わば急に事件や事故災害に巻き込まれた場合と、受けた衝撃は遜色無い。そう思っている。こんなに突然に妻と永遠の別れだなんて、断じて認めたくない。そんな気持ちだ。





通夜は、非常に多くの方に参列して頂いたが、時間の感覚が無く、気づいたら終わりの時間だった。閉式後、参列した方の多数が残られ妻の顔を見ていきたいと言う。非常に多くの方が列を作り待っていてくれた。有難いことであり、御礼がてら簡単に妻への思いを話したりしながら順番に見てもらった。お化粧をして綺麗な顔で、棺の中で眠っているかのようだった。

また、閉式後、お坊さんには御礼とお布施を渡し、また明日もよろしくお願いしますと挨拶をした。この通夜という行事で、すでに相当疲労して来たが、明日の告別式まで何とか堪えて喪主として役目を全うしたい。

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