『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

次男について

次男は、妻生前は、いわゆるママッ子だった。2歳になる前頃まではもっぱらパパと一緒で、抱っこ・お風呂・オムツ交換はパパが在宅時はパパの役目だった。

それが、いわゆる魔の2歳児・イヤイヤ期が始まったら‥‥それまでのパパの抱っこ・お風呂・オムツ交換はやはり男の荒っぽい作業であったからか‥‥‥‥抱っこ→「ママがいいの!」お風呂→「ママと入る!」オムツ交換「マ(ry」この有様、全面拒否である。流石に凹んだ‥‥特にお風呂は好んでパパと入っていたはずが、髪の毛を洗うのが荒っぽ過ぎたか、パパとお風呂に関する事柄は一切拒否された。

外出時はママと代わる代わる抱っこをしていたが、やはりお気に入りはママだった。魔の二歳児のイヤイヤ期については諸説あるが「物心がつく=自我が芽生え始める時期であり、それまでは無心で親のおもちゃのようにされるがままになっていたのが、自己主張を始める時期」だと思う。個人差はあると思うが、我が家の次男は強烈な自我を持って「パパよりはママ!」という自己主張を繰り返していた。





悔しい反面、やはりママの方が一緒にいる時間が多いわけだし至極もっともなことだと思った。だが、ママばっかりではママが疲れてしまう。特に抱っこなどの体力勝負はなるべくパパがメインになるようにした。次男の顔色を伺いながら。

それが、妻の死から一変した。しかも妻が瀕死の状態で今にも蘇生措置を中止せんとする凄惨な救命救急センター。その場にこの子がいて、妻の死亡確認の瞬間まで一緒だった。
これはこれで良かったのかもしれないが、2歳児が受けた衝撃は計り知れないものだったと思う‥‥‥‥その後は、もう想像がつくかもしれないが、極端にパパベッタリになった。

どこにいても私の姿が見えないと泣き叫んで「パパ!パパ!」と言いながら私のことを探す。トイレに行っても着いてくる。寝室に行くのも着いてくる。寝て目が覚めてパパがそばにいないと泣き叫んでパパを呼ぶ。通夜告別式のために身だしなみを整えるべく散髪に行ったがやはりくっついてくるので、私の散髪中は仕方なく、後ろの待合室で携帯のYouTube(アンパンマンなどの動画)を見せるなどしてやり過ごした。市役所に駆け込んだ際にもくっついてくるので連れて行った。





妻が出かけて倒れた際、次男は家でじいじばあばと留守番をしていた。「ママ行ってらっしゃい」と、見送って‥‥‥‥それっきりだ。
次男は私が見えなくなると、妻みたいに居なくなってしまうのでは?と考えているのだとと思う。
それで必死について来ようとしているんだと思う。健気に「ママが居なくなった」ことが分かっているようでもある。

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