『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

長女の食物アレルギー(1)

長女には少し食物アレルギーがあった。この少しという表現が適切かどうかは分からない。特に海老と卵が厳しいようだ。だが、長女は海老の天ぷらは好きで回転寿司に行っても海老天ばかり食べていたのだが‥‥‥‥

長女は2歳頃、食後に蕁麻疹のような湿疹が頻発したことから食物アレルギーを疑い検査を受けたことがあった。かなり前の話で不鮮明な記憶頼りだが、検査結果は「小麦・鶏肉・卵・牛乳」などに高い数値が出た。
つまり食べさせられないということだ。それから、いわゆるノンアレルゲンの食事にしたり、外食にも注意したが、年月が経ち、妻に任せていたこともあり、大体耐性を獲得したものと思っていた。
麺類・鶏肉はOKになっており、長女も麺類鶏肉は好物だったので全てそう思っていた。





乳製品については、ずっと苦手なままだった。代表的なものとして牛乳・ヨーグルトは全くダメだった。(聞くと学校では少量だけ飲んでいたという)が、乳酸菌飲料は好んでいたし、卵が使われた料理「チャーハン・卵スープ等」は平気だ。海老や蟹などの甲殻類については、そもそもアレルギー検査結果に載っていたか記憶に無いし、検査結果の用紙はどこにあるか分からないという始末だった。

だから大丈夫だと思っていた。年末頃学校から、給食に関して食物アレルギーの有無の調査があったが問題ないとして提出した。妻の死があってもこの程度の危機意識しか無かったのは今思い返しても情けないが、あの頃(12月中旬から下旬)は思考能力が無かった。

年明早々1月5日の夜、皆で行った回転寿司で、長女は普段から大好きな海老天寿司や、甘エビ・ボイル海老寿司にも挑戦して海老を沢山食べた。行きつけの安い回転寿司チェーン店だったがそのときは子供達も大喜びで大満足だった。

長女は、その日の夜遅くから、まぶたが腫れる。足に湿疹が出たりした。私はまぶたの腫れから翌朝眼科に連れていきアレルギー症状を抑える目薬や軟膏の処方を受けた。長女は眼科の帰りの路上で嘔吐を繰り返したため、私はただごとではないと思い、長女が過去にアレルギーで受診した小児科に連れて行った。食物特に甲殻類アレルギーではないかと思い医師にも説明したが、医師からは「過去に受けた食物アレルギーの検査結果には甲殻類の反応は無かったから違うだろう。嘔吐しているし、(触診から)お腹の調子が悪いようだから胃腸炎だろう」と言われ、私も「お腹の風邪いわゆる急性胃腸炎なんだな」ということで落ち着いた。(だが、長女の幼児期に受けたアレルギー検査はこの小児科で受けたのではなく、別のところで受けた検査結果を見せて過去に受診したように思う。かなりうろ覚えだが)





今これを書いてるのが2/18なので、一昨日の夜のことだ。いつものように仕事の後次男を保育園に迎えに行って家に連れて帰ってきたら、長女が具合が悪いという。食欲が無く頭痛がするという。そしてまたまぶたが腫れている。食物アレルギーが頭をよぎった‥‥昼の給食に海老と卵があったという。今日は夕食を諦めて寝かせることにして様子を見た。

朝になってだいぶ治まってきたとは言う。また、その日は授業参観の日だった。私も予定を合わせていた。さてどうするか‥‥‥‥だが時ここに至って、長女のアレルギー問題をこれ以上放置しておくわけにはいかない。妻の死を経て「こんな思い二度としたくない」という気持ちがこみ上げてきた。

まず、かかりつけの小児科を受診し、アレルギー検査を受けることにした。検査結果が出るのに1週間ほどかかるという。その後遅れて登校させ、担任の先生にも事情を説明した。長女には「給食で海老と卵は出ても食べないように」と注意した。1週間後再診で検査結果を聞き、給食などについては改めて対応を考えることにした。

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