『ママに会いたい』【死別した家の非日常と日常の話】

2017年12月1日、最愛の妻と死別し、突如父子家庭となり11歳の長男、10歳の長女、3歳の次男の子育てに悪戦苦闘しながら、前に進んだり後ろを向いたり横を向いたりする日々を綴る雑記ブログでである。

ママお着替えして化粧してキレイになった。

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12月4日夜、葬儀屋の説明によると、専門の女性スタッフが来て妻に着替えをさせたり、化粧してくれるという。事前に言われていたので用意しておいた。

ママが最近購入して、まだ着れてなかったGAPのセーター、長身のママに似合っていたドレス。外行きの靴等々。冬なのであったかいかっこにさせてあげたい‥‥着替えも入れる。





数日後には火葬をされるという現実が脳裏の片隅にある。でも、それでも、魂になって、空の上・天国へ旅立つ、そのためには着替えも持たせておこう。子供達・自分にそう言い聞かせる。ドレスは、長身でスタイルがいい大好きなママにオシャレでキレイなかっこで旅立って欲しいという私の願い‥‥ただ本人は、いつも、慎ましく、派手なかっこをすることはほとんどなかったので、嫌がるかもと思ったが「フォーマルな場だから納得してくれるだろう」と自分でもよく分からない論理で妻の好みより自分の好みを優先してしまった。

思えば妻は、自らは華美な服装を好まず、いつも私を優先してくれた。
ママ「パパのお洋服を買おう」
パパ「ママのお洋服も買おうよ」
ママ「ママは今度でいいよ」
‥‥‥‥もっといっぱいキレイな服を着せたりしてあげたかったという気持ちが強く残る。
今は何でも子供達優先が当然だが、それでも、それでも、最愛の妻のことを優先したかった。妻を喜ばせることをもっともっともっとしたかった‥‥

葬儀まで数日あるため、妻の亡骸の傷みがどんどん進んでしまうのでは、という懸念がずっとあり、亡くなって3日も経つと傷みが目立ってしまうのではないかと恐れていた。しかし、冬場に入ってきていることも助かったが、そこは、葬儀屋がきちんとお世話をしてくれて亡骸の傷みなど微塵も感じさせることは無かった。だが、葬儀屋・担当者は男性だ、男性に妻を触らす、例えそれがドライアイス等を設置することだとしても‥‥妻は既に死者であり、私としてはそこまで気にはならなかったが、やはり複雑な感情がある。端的に言えば妻を男性が触る。私以外の男性が世話をする。もってのほかだと思った。(妻の出産のときなど、私は3人目となる次男の出産時にやっと立ち会ったが、産婦人科、分娩室のスタッフ、思いの外男性が多い‥‥医療行為とは言え嫌な気持ちを持ち自分の子供じみた嫉妬深さにビックリした)





しかし、着替えと化粧は専門の「女性スタッフ」と聞き、安心したというか、やはり女性のことなので女性のスタッフにお任せ出来て良かったと思った。(私個人は性別で仕事・職種部分で役割を分けたりするべきではないと思っています)ただ、妻は、当然死後現象としていわゆる死後硬直(「しごこうちょく」死体の筋肉が硬化する現象であり、死後半日から1日余りの間が死後硬直のピークという)をしていて、着替えさせるのは大変じゃないかと思ったが、調べたら、死後3日経った今の時期は既に死後硬直は解け始め「緩解」という現象の最中(死後30時間から40時間程度で徐々に硬直は解け始め、死後90時間後には完全に解ける。これを「緩解」という。緩解時期は、夏は死後2日ほど、冬は4日ほどであるという)のようだ。むしろだから数日経ったこの時期に着替えと化粧をするのかと思い葬儀屋の仕事ぶりにまた驚いた。
さらに、女性スタッフには大変な作業かと思ったが、実際に会ってみるとそれは杞憂に過ぎなかった。「早速取り掛かります」と言われ、作業中はふすまが閉じられた。
しばらく待って、「無事完了しました」と言われ、スタッフの労を労うとともに、妻の姿を見た。

化粧をして、ドレスを着て、凛々しい美しい綺麗な姿になっていると思った。「ママキレイだよ」そう呟くように妻に声をかける。まさしく外行きの装いという感じで、結婚式や、成人式、子供達の入学式等でもバッチリだと思った。改めてスタッフに御礼を言った。
でも妻はもう起きない‥‥‥‥そう思うとまた強い悲しみに襲われる。

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