12月2,3日は葬儀屋との打ち合わせ、妻の訃報を主に妻の友人関係に連絡することに終始すると共に、近所の方にも訃報を伝えたり、弔問を受けたりした。
弔問の対応は、疲れはするが、妻のことを訥々とではあるが思いを込めてお話しさせていただいた。色々な方に、その都度同じ話をするのだが、妻に対する思いが強く、話足りなさすら感じるほどお話しした。
話すのはだいたいこんな感じの内容を話した「突然過ぎて受け止めきれない。喘息による突然死で最愛の妻を亡くしてショックだけど、本人もさぞかし無念だったと思う。遺志を継ぎ子供達を育てていきたい」これは本音半分建前半分である。
本音では「後を追えるものなら追いたい。子供達を育てていくのは使命だと思うけど、そこに一緒にいるはずの妻がいなくては‥‥何でも妻と一緒にしたかった‥‥妻がいない世界に生き続けても‥‥」と思っていた。これは今でも少なからずそうおもっている。
こんな感じで親族に助けてもらいながら2.3日は過ぎていった。